
「海の記憶」vol.1 The Inland Sea
神秘の極東の国の風景ーなかでも「The Inland Sea」の風景に理想郷を見出した。

瀬戸の海は 太陽を温かく 抱擁する
ー寺山修司「瀬戸内海」
夕暮れどき、瀬戸内の海岸線に太陽が赤い月のように浮かび上がる様は、ただただ美しく、圧巻の一言である。劇作家・寺山修司が表したように「太陽を温かく抱擁している」幻想的な風景が拡がる。
濃厚な橙色と透き通った水色、青色が混ざり合う空。日の光に照らされた空や雲が、刻々とその色彩の変化を遂げていく。湖でもなく、大海原でもない。まるで、広々とした運河のような瀬戸内の風景は、訪れる人の心を包み込むように、それぞれに魅了する。

明治時代まで、日本では「瀬戸内」という名前すら、存在しなかった。大陸から都へと続く、海上交通の難所であり、源平合戦の痕跡を残した史跡の場所でしかなく、「瀬戸内」という一つの大きな「内海としての風景」として捉えられたのは、意外にも19世紀以降。ヨーロッパの文化人たちの評価によるものだった。
医師であり、植物学、そして地理学者でもあった、ドイツ人のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト。その紀行文に、瀬戸内海を横断した際の記述がある。瀬戸内海を海峡に囲まれた「内海 The Inland Sea」であり、この内海は多島海だと記している。
「この内海の航海をはじめて以来、われわれは日本におけるこれまでの滞在中最も楽しみの多い日々を送った。船が向きをかえるたびに魅するように美しい島々の眺めがあらわれ、島や岩島の間に見えかくれする日本〔本州〕と四国の海岸の景色は驚くばかりであるー」
「Nippon」
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
「 江戸参府紀行」(斉藤信訳)

幕末から明治にかけて、日本の開国とともに、たくさんの欧米人が瀬戸内海を航行し、瀬戸内の風景を賞賛している。賞賛が賞賛を呼び、欧米中に瞬く間にひろがり、評価が高まっていった。永らくベールに包まれていた、神秘の極東の国の風景ーなかでも「The Inland Sea」の風景に理想郷を見出した。
風景のなかに、その土地の歴史、風土、人々の営み、時の流れーすべてが含まれている。海に残された記憶が瀬戸内の風景のなかに深く深く溶け込み、かけがえのない唯一のものとして、今、私たちの目の前に、現れているに過ぎないのだ。
参考文献
「近代の欧米人による瀬戸内海の風景の賞賛」
西田正憲 著
- PhotosYoshiyuki Mori
- WordsAtsuko Ogawa
- DesignNoriaki Hosaka