
「海の記憶」vol.2 芸予諸島へ
日本と大陸を結ぶ、中継地点でもあり、大陸から日本へ渡る際の「入り口」のような場所だった。

本州・尾道から呉にかけての山陽路と四国・今治との間にひしめく島々ー芸予諸島。因島、生口島、大三島、伯方島など、いずれも大きな島が連なるように、位置している。しまなみ街道という一本の道で、尾道から島々を渡り今治まで続く道がある。

「瀬戸内海の潮の流れは実に複雑極まりない。潮流は上げ潮と下げ潮で流れる方向が全く逆となる。その速さも時々刻々変化する。早いだけでなく、複雑な海峡や海底の地形のため、反流(ワイ)など、潮が乱れる状態になる。「船に乗るより潮に乗れ」という土地の言い伝えは、この急潮の瀬戸で船に乗る肝心な点をずばりと言っている。」(愛媛県史より)
かつては、芸予諸島のそれぞれの島までは、船で渡るルートしかなかったため、瀬戸内最大の難所と言われるところをくぐり抜ける必要があった。潮の流れを読むことも、実に難しく、また、その流れの速さも尋常ではない。座礁する船も多かった。
日本全体の海運を握る、大切な要所であったこと。九州太宰府から流れくる船を畿内へと渡す。都へと通ずる海の道。この地の人々が、船頭という「道標」となり、海上交通の安全を守りながら、あらゆる場所から来た、人・物・文化を日本のさらに中心地へと導いていった。
「海の文化」が色濃く残る、この古い島々は、受け皿となり、そして、必要な場所へと辿り着けるよう、誘なってきた。日本と大陸を結ぶ、中継地点でもあり、大陸から日本へ渡る際の「入り口」のような場所だった。

実際に島に降り立ち、美しい水の風景や大きな雲がゆっくりと流れていく様を見ていると、風景の中に、いつの間にか自分自身も溶け込んでいくような、吸い込まれていくような感覚になっていく。
かつて、この地に流れ着いた人たちが見たであろう風景と同じ風景を、今、目の前にしている。古の人たちも、同じように空を見上げながら、これから踏み入れる新たな世界へと、それぞれに想像を膨らませていたに違いない。
それぞれのはじまりへ。
海の風景が、やさしく、誘っていく。
- PhotosYoshiyuki Mori
- WordsAtsuko Ogawa
- DesignNoriaki Hosaka