「海の記憶」vol.3 大三島の楠

楠の島。古代、島全体が今よりも、もっと、楠の群生に覆われていた。

芸予諸島を代表する島、大三島。この島には、大きな拝殿を構える「大山祇神社」がある。

大山祗(おおやまづみ)の神。百済から渡ってきた神ゆえ、ワタシノカミと呼ばれている。大陸から渡り、伊予国を切り拓いた氏族・越智氏の祖先が祀ったという。この美しい島ー大三島で、大切に拝まれてきた場所でもあり守られてきた場所でもある。

山神でもあるが、武神・海神を祀ることから、古くから、多くの武将がこの地で武運を祈願した。中世の時代、この地に端を発した豪族の力はピークに達し、50を超える建物が立ち並んだこともあるそうだ。ここに、樹齢2600年を超えるという大きな楠の老樹が佇んでいる。

楠の島。古代、島全体が今よりも、もっと、楠の群生に覆われていた。越智氏族は、舟材の主材でもあった楠の材を使い、船を作っていたという。造船、航海、貿易による、膨大な益。当時、これらを手中におさめることは、流通の主であった「航海=海運」を掌握することと等しく、この地が非常に強い力を持っていたということは、想像の難くない。

瀬戸内海は、交通の大動脈であり、要所でもある。古代から、現在に至るまで、日本列島の交通網は瀬戸内海の航路を中心に組み立てられている。北部九州(大宰府)と畿内(難波津)の2つの拠点を結ぶ主要な航路として、その役割を果たし、朝鮮半島や中国への使節団ー遣唐使が、畿内(難波津)から向かう際に利用する重要な交通路でもあった。

現在、芸予諸島を含む今治市には、14もの大型造船所があり、国内最大の海事都市となっている。古の記憶が受け継がれているのかどうかは、わからない。けれども、大きな楠の老樹が静かに物語るのは、かつて大陸にある彼の国から、この地に渡ってきた民たちが、大海原を越え、荒波を越え、そうして、ようやくたどり着いた場所を「新しい開拓の地」として、切り開いていく先見の明とたくましい精神を持っていた、ということである。持てる知恵と力と、人生のすべてを注ぎ込んでー。


さらに、島の奥へーミカン畑に囲まれた、細い道を歩いていくと楠の巨木に出会う。根周り約30メートル。樹齢3000年を超えるという、大きな大きな老樹である。この根が、いわゆる入り口の「門」になっていて、頭を垂れて、根の間をくぐり抜ける。

根をくぐり抜けると、大山祇神社の中に、かつてあったという神仏習合の御寺ー神宮寺の「奥の院」が残されている。素朴でシンプルなつくりの木造の建物ではあるものの、威厳のある空気感と押し寄せてくる気迫は凄まじく、この場所に立ち、それぞれの決死の覚悟をした人たちのあらゆる思念のようなものを感じざるを得なかった。

楠は、この島に、どっしりと根を張り、何世紀にも渡って、それぞれの「はじまり」や「終わり」を見届けあらゆる思念を吸収し続けているかのように見える。

楠は、この島に残された「記憶」の象徴であり、この地が特別であることの証でもあるのだろう。


  • PhotosYoshiyuki Mori
  • WordsAtsuko Ogawa
  • DesignNoriaki Hosaka