回帰

今、目の前にある世界を改めて心の目で見つめ直したとき、きっと、自分にとっての「本当」に出会うことができるはずだ。

なにもないところに、いかに美を感じることができるか。

なにもない だから 美しい

ーイントロダクション「空白」で表したこの言葉は、東洋的な感覚と視点で「四国」という土地を改めて見つめたときに、浮かんだ言葉だ。

「すべてを内包し、天地が存在する前に生まれたものがある。なんという静けさ、何という孤独さ。それは一人立ちし、変化しない。それは宇宙の母であり、危険にさらされることなく、巡ってくる。私はその名前を知らないので、『道』と呼ぼう。敢えて、他の言葉を借りて『無限』と呼ぼう。無限は無常であり、無常は消滅であり、消滅は回帰である。」

(『老子』有物混成章第25 / 「茶の本」 岡倉天心著, 立木智子訳 , 淡交社, 1994年)

わたしは、四国を訪れるたびに、いつも空を眺めていた。それがどんな場所であろうとも、高速道路の車が行き交うなかでも、常に、空を眺めていた。そこに浮かぶ大きな雲や透き通った水色の明るい空をただただ眺めていた。いつも空は「ここ」にあり、わたしは空に「帰っていく」ことができた。

ある夜、今治を出発し、しまなみ海道を通って、広島の福山まで戻ろうとしたときのこと。それは、まだ、春先だったか。車窓から、潮の香りに交じって華やかな花の香りがふわりと漂ってきた。なんとも言えない甘美な香り。みかん畑の花の香りだった。いつものごとく、空を眺めると、オレンジ色の大きな月が浮かんでいた。今まで見たなかで、もっとも大きい月だった。月は光を放ち、海には月と月光がくっきりと映し出されている。

その瞬間、わたしは「いつの時代」に自分がいるのか、ひょっとしたら、今見た光景も漂ってきた香りも、「今という時代」ではないんじゃないかー。そんな錯覚に陥りそうになった。そこに漂う濃厚な夜の空気が、わたしの中に入ってきた瞬間だった。それは、ただの錯覚かもしれないし、思い込みかもしれない。でも、明らかに、時空と時空の間にある、とてつもなく「美しい世界」へと心が吸い込まれていくのを感じていた。

四国という土地で、わたしは、そういう感覚になることが時折あった。あるときは、瀬戸内海の誰もいない海岸の岬で。あるときは、何千年も変わらない深い森の中で。今も、その感覚をありありと覚えている。まるで、昨日起こった出来事のように。でも、「あちら側」から「こちら側」へ帰ってくるたびに、この日本という土地だからこそ、とてつもなく美しい「永遠」を感じることができるんじゃないかと思うようになった。

空気は、単にそこにあるだけではなく、これまでのいろいろな積み重ねが含まれている。人々の営みも、想いも。あらゆる記憶が、そのままに残されている。対立ではなく、受け入れ合い、調和することを好んだ、私たちの祖先は、四国であり、この日本という土地に、「道」を残してくれたんじゃないだろうか。記憶に回帰するための道を。自分自身へと回帰するための道を。

今、目の前にある世界を改めて心の目で見つめ直したとき、きっと、自分にとっての「本当」に出会うことができるはずだ。誰にとっても「道」は開かれている。

なにもない だからこそ 美しい

  • PhotosYoshiyuki Mori
  • WordsAtsuko Ogawa
  • DesignNoriaki Hosaka